うらがみ

illusted by KUMI MASUI

17

あっちの席に座りたかったなぁ…
運ばれてくるコーヒー二つ。クリームソーダ一つ。

スターバックスなんてない昭和50年代、母のお喋りの場は喫茶店だった。ナイロンのテロテロした柄物のワンピースにハンドバッグを持った母の横で、私はこよなく愛するクリームソーダを一人堪能した。

クリームソーダの味が好きだと言うよりも、その「悪さ」が好きだったように思う。見て良いテレビは『タイムボカンシリーズ』と『一休さん』、食べて良いお菓子は『ギンビスビスケット』だった私が、母のお喋りという題目があれば、見るからに健康を害する色でできている緑色のソーダと真っ赤なチェリーを怒られることなく口にして良いのだ。

その緑色は食品の色を越えた濃さで一口で舌は緑色に染まった。ダルーンとした濃厚な味は、甘さに節操のない海外のキャンディを想起させられた。細長いスプーンでつつくとぶわーんぶわーんと溶けるアイスクリーム。このアイスクリームの底とサイダーがペイズリー模様に混ざる宇宙を分厚いグラスの横からじーっと見つめる。長いスプーンをアイスクリームの狙ったところに見ないで刺すのは難しい。
時には、離れたテーブルから聞こえてくるインベーダーゲームの音にあわせてソーダを揺らした。ピューンピューン。いつかはゲームの席に座りたいなあ。ピューンピューン。
妄想ゲームが白熱すると、ソーダを揺らしすぎてせっかくの鮮やかな緑色が白濁してしまう。そっとその部分をストローで吸い上げることを繰返しては、母が「帰るよ」と言うのを大人しく待っていた。

私にとってクリームソーダと言えば「母のお喋り」なのだけれど、一度だけ父の横で飲んだ記憶がある。父と一緒だったのは一度ではないかも知れない。けれど、この記憶は強烈過ぎて、他の全ての場面を奪っていった。何度思い出してもこれは本当だったのか、私の妄想なのかわからなくなってしまった。でも、確かに父の横には私、そして父の向かい側には綺麗な女性が微笑んで紅茶を飲んでいた。

いつものようにクリームソーダを突つきながら、顔をあげることができないままにグラス越しの女性をチラチラと見た。誰なのかわからないけれど、女性がとても若いこと、白いブラウスが華奢な身体に良く似合っていたことは覚えている。勿論、当時の私に【だんじょのきび】などわかるはずもないけれど、女性の口元にとても親しい間柄である艶かしさと、ストレートの黒髪に父が触れた気配を感じた。そして、これは母には内緒なのだなと理解した。
口封じのクリームソーダ。早く帰ろうよ、お父さんと呼び掛けたい気持ちを押し殺す。でもね、私ね、冷たいアイスの上にぬるいホイップクリームがのっているのは好きじゃないんだ。真っ赤なチェリーが埋もれてる、クリームが赤くなっちゃってる、ねえお父さん。気付いてる?声にならない思いが溢れだし、心がぐちゃぐちゃになった。

「これ、プレゼント。私とお揃いのブラウスなの。気に入ってくれると嬉しいな。」
細いネックレスが柔らかく揺れて、赤いリボンのかかった箱が差し出された。あ、と顔をあげたその時、女性と目があってしまった。心臓がどくどく鳴った。クリームソーダなんて頼むんじゃなかった。

「なあ、キレイな女性だったろう。」
帰りの車の中で父に言われた。
一言も喋らない私を心配したのかもしれない。それでも、父の声には同調を求める強さが感じられ、助手席で外を眺めていた私はなんと返事をしてよいかわからず、父から顔を背けたままそっと目をつぶり寝たふりをした。
目を閉じると今まで流れていた車外の風景が遮断され、女性と目があった時のことが思い出された。あの瞬間、ほんのわずかに女性の瞳の奥に冷ややかな嫌悪を感じたのだ。あなたなんか嫌い、そう言われた気がした。柔らかい笑顔に包まれた重たい闇。目をそらすことができない。お父さん、これが見えないの?バカじゃないの?無防備なまま吸い込まれてしまう。底のない井戸にポチャンと一人放り込まれる。息もできない、ただただ沈んでいく身体。
見えるのは水中に漂う求めても求めても何もつかむことのできない無力な両手だけ。(あの女性は嫌い)そういえば、今日のお店にはインベーダーゲームなかったな。(あの女性は嫌い)お父さんなら座って良いって言ってくれるのかな。百円玉いっぱいテーブルに積んでゲームやってみたい。ピューンピューン。
ゆらゆらと揺れるソーダはいつしか黒く重く濁っていった。ああ、こんな色は嫌だ、早く吸い上げなければとストローを探すけれど見付からない。
どこ?どこ?早く…身体の沈む速度は増すばかりで、やがてソーダも見えないほどに暗闇で世界が満たされていき、私は本当に眠りへと落ちていってしまった。

18

妄想ハセキョーの現実

ランドセルを背負った息子が帰宅するなりギョッとした顔でこちらを見ている。
「ど、どうしたの?」
「なにが?どーもしないよ。」
「その頭のやつ…なに?」
「あぁこれ?家事するのに前髪が邪魔だったから」
「あ、あぁ…そう」
目を合わせないようにしているのが伝わってくる。おやつと水筒をカバンに詰め込み、逃げるように出て行ってしまった。

前髪を伸ばしている途中だから、耳に掛けてもはらりと落ちてきてしまい邪魔なのだ。だから、その日は頭にスカーフを巻いて過ごしていた。
ただのスカーフではない。
カルティエのシルクスカーフで、鮮やかな水色に抽象画のような花々が描かれていて、とても気に入っている。

わたし達世代のスカーフの達人といえば思い浮かぶのは長谷川京子ではないだろうか。
彼女がドラマで見せたスカーフ使いには目を見張るものがあったし、その鮮やかで華美なスカーフは彼女の美貌をさらに引き立てていた。
ドラマだけじゃなく、日頃からスカーフをファッションに取り入れているらしいことは彼女のインスタグラムを見ても分かる。

突然ですが、ここで告白しよう。
わたしは昔、長谷川京子に似ていると言われたことがある。ただ一度だけだけど、確かに言われたのだ。
たとえそれがお世辞だったとしても、言われたことに変わりはない。だって全く似ていない人に、長谷川京子に似てるね、なんて言わないでしょう?だからきっと少しは似ているのだと思う。
女性ファッション誌 CanCam の読者だったわたしは長谷川京子の大ファンだったから、ただ素直に嬉しかった。そして歳を重ねながらもどこかで彼女をいつも意識していた。

頭にスカーフを巻いたのも、もちろん長谷川京子を意識してのこと。
ドラマやインスタグラムで見せるスカーフ使いに憧れていた。
いつかわたしも長谷川京子のようにスカーフをお洒落に操れるようになりたいと思っていた。
そこに学校から帰ってきた息子の怯えたような姿。
触れないように去っていった息子を見て、わたしは「ふん、なにさ」と少しだけ憤慨したと同時に、少しだけ不安になった。
恐る恐る鏡を覗き込んでみると。
「ぎょっ!!!」
そこには長谷川京子には似ても似つかぬ、もはや男女の性別すらも超越した物体が。
せめて性別だけでもハセキョーと同じ女性でいたいと、鏡に映る自分の姿をみて悲しくなった。

19

夫の誕生日は八月九日である。
先日家族で長崎を訪れた際に、平和公園へ立ち寄った。

「お父さんが生まれた日に原爆が落とされたの?」と息子が聞くので、
「違うよ。原爆が投下されたのは、お父さんが生まれるだよ。」と答えた。

答えておきながら、自分でも驚いてしまった。
たった三十年前?
本当だろうか。もう一度計算する。
1975 - 1945 = 30
間違いない。

三十年前の記憶ははっきりある。
ちょうど息子くらいの歳だった。教科書にある戦時中の白黒写真を見ながら「戦争は恐ろしい」と感じながらも、自分の生きている時代とは全く違う、遠い昔の出来事のように感じていた。
しかし実際三十年を経験すると、遠い昔ではない気がしてくる。地続きであることが理解できる。
この焦りのような気持ちはなんだろうか。